和食器の世界には、多くの技法があり、そのひとつに「三島手(みしまで)」と呼ばれる繊細で趣のある表現があります。彫られた文様に白土が埋め込まれ、柔らかな陰影を帯びたその姿は、どこか控えめで、しかし静かな存在感を放ちます。
■ 三島手とは
三島手は、主に粉引や灰釉を下地とした陶器に、印花(いんか)や線彫りなどの技法で文様を施し、そこに白い化粧土を埋めて仕上げる装飾技法です。素地に模様を彫り込んだり、スタンプ状の道具で文様を押し付けたりし、その凹みに白土をすり込んで焼き上げることで、象嵌(ぞうがん)的な効果が生まれます。
全体的には柔らかく、やや灰色がかった素朴な風合いの中に、白い文様が浮かび上がるのが特徴で、使い込むほどに土の質感が引き立ち、侘びた趣が深まっていきます。
■ 三島手の作り方(工程)
三島手の工程は非常に手間がかかり、主に以下のように進められます。
1)成形:器の形を作り、まだ半乾きの状態(革のような硬さ)で装飾に入ります。
2)文様付け:
・印花(いんか):木や金属で作られた小さなスタンプで模様を押す。
・線彫り:鋭利な道具で線や格子などを彫り込む。
3)化粧掛け:文様の凹みに白化粧土(白い泥)をすり込むように塗る。
4)拭き取り:表面の余分な白土を拭き取ると、文様の中にだけ白が残る。
5)施釉・焼成:全体に釉薬をかけ、還元または酸化で焼成。
この過程で、土と釉薬と文様が一体となった、深い味わいのある器が生まれます。
■ 名前の由来と歴史
「三島手」という名の由来には諸説ありますが、最も有力なのは朝鮮の李朝時代(15世紀頃)の陶器が日本の「三島大社」へ献納されたことに由来するという説です。江戸時代以前、日本に渡来した朝鮮陶器が、三島大社に収蔵されていたことから、その様式が「三島手」と呼ばれるようになったと伝わります。
また、朝鮮ではこの技法を「粉青沙器(ふんせいさき)」と呼び、日用雑器として広く用いられていたため、日本の茶人たちもその素朴さに惹かれ、「高麗茶碗」として愛用していました。後に日本国内でも写しが作られ、美濃や信楽、小石原などで独自に発展していきました。
尚、名の由来の諸説のひとつとして、江戸時代の陶磁史を記した文献の中には、「三島手は、三島暦の印刷文様に似ているため名づけられた」との記述があります。三島暦とは、静岡県の三島大社で発行されていた旧暦のカレンダーで、小さな仮名文字や記号が均等に並ぶ姿が、三島手の文様に似ているという点に着目されたものです。
確かに、三島手の印花文(小さな花や丸い文様を等間隔に並べたデザイン)は、暦の版木や活字印刷の雰囲気に似ているという見方もできます。ですが—、三島暦と陶器が関連した具体的な記録が乏しいことなどから、この説はあくまで後世の命名に関する民間的な由来話のひとつとみなされ、今日ではあまり重視されなくなってきているようです。
■ 三島手の見どころと魅力
三島手の魅力は、その静かで均整の取れた文様美と、土と釉の質感の対話にあります。
・整然とした文様:幾何学模様や草花、網目文などが規則正しく並び、静謐な印象を与えます。
・使うほど味が出る:表面のざらつきや釉薬のゆらぎが、使い込むほどに柔らかく馴染んでくるのも魅力。
・料理を引き立てる器:料理を邪魔せず、しかし存在感をもって食卓に溶け込む力があるため、特に和惣菜や旬の炊き込みご飯などとよく合います。
■ 三島手にまつわる物語
ある茶人は、李朝三島の茶碗を「白雪を土に封じたような器」と表現しました。飾らない素材の美しさと、人の手による工夫の絶妙なバランスが生むこの器は、華美ではなくとも、どこか心に残る存在です。
また、現代の陶芸作家の中には、この古典技法に独自の解釈を加え、色化粧土で彩る「彩三島」や、削りの風合いを残した「荒三島」など、表現を広げている人もいます。
■ まとめ
三島手は、過去と現在をつなぐ陶の文様世界です。朝鮮の民窯に端を発し、日本の茶人に愛され、そして現代の陶芸家たちの手でなお生き続けるこの技法は、「控えめであること」の美を体現した和食器のひとつです。
土の力、手の痕跡、白の余韻。それらが織りなす静かで奥深い景色が、三島手にはあります。





